思えば遠くへ来たもんだ

思い立ったが吉日 インドで働くことになった日本語教師。
「日本語が教えられれば大丈夫」と言われて来た町は、英語も通じない。
果たして3年の契約を無事に全うできるのか???

被災してないのに断水

今のアパート、時々下手な尺八の練習のような音が聞こえる。

インドに尺八はないだろうから、懐かしの「レッドスネーク カモン」ってやつかしら???


そして何故か夜になると水が出ない。

夜中にトイレに起きると手が洗えないので、水のボトルを何本か洗面所に置いていた。


7月に日本へ帰国した際も飛行機が遅い便だったため、家に帰ってシャワーを浴びようとしたけど、アウト。

どうも23時には止まってしまうらしい。


そんなある日、仕事を終えて帰宅した午後7時。

水が出ない!

このクソアパートと悪態をついても水は出ない。

その日は夕飯をパーセルにしたので、食事の準備はしなくてよかったけど、歯磨きや洗面ができない…

朝になれば出るだろうと仕方なく寝る。


翌朝、水のことなどすっかり忘れて、トイレに行くとやっぱり水が出ない。

???キッチンもシャワーもダメ。

マヂか?

今日は土曜日、洗濯の日なのに。

掃除しようにも水が出ない。料理ももちろん無理。

仕方なく引きこもる。食事はカップヌードル。トホホ

そして日曜日、いい加減出るだろうと期待したが、やっぱりダメ。

上司に電話し、20リットル入りのボトルを3本持って来てもらった。


1つはお手洗いに、1つはキッチンで炊事用。

残り一つで、行水をする羽目に。

20リットルのボトル片手にシャンプーはツライ。なんかスッキリしない。



結局、日曜日でボトル3つ使い果たし、翌日上司に報告。

すると、「アパートの給水タンクのポンプが壊れていて、新しいのに取り替えるそうです。工事は今週末。」

おいっ、今日月曜日なんですけど、今週末ってどういうこと?

それまで水使えなかったら、マヂ死ぬ。

頭にきたので、「直るまで、ホテル泊まらせてください。その費用はアパートのオーナーに請求して下さい」と息巻いた。

すると、ケチ会社のダメ上司は「それは出来ない」と。


なんてこった。

もう自腹で会社の近くのホテルでも泊まろうかな…

検索すると、€1000以下でも朝食付きで泊まれる。悪くないんじゃない。


帰宅後いくつかホテル見繕って、お泊まりの準備を始めると、上司からメールが、「水ボトル6本持ってきます。モチロン費用は会社で負担しますから」と。

けっ、なんか上手く誤魔化されたな。

そして20リットルのボトル6本登場。


あのさ、20リットルって重いんだよね。

か弱い私は腰まで悪くしそうだ。


その翌日、上司が「アパートの管理組合から連絡があって、工事が終わるまでの間 朝は8:00〜9:00、夜は9:00〜11:00だけ水を使えるようにするそうです。なので、センセイはその間9:30出勤でいいです。」

はぁ、朝はともかく夜のハンパな時間帯はなんなんだ。


結局夕食はテイクアウトやレンチンで済ますことに。

計画断水?で水が出るようになったのは水曜日。かれこれ5日も水が出なかったのか。

一人暮らしの私でさえ、洗濯物が溜まってるのに幼子がいる家庭とかどうしてるんだろうか…


夜になり約束の時間に例の怪しい笛の音が聞こえてきた後、水が出た。

尺八でもヘビつかいでもなく、どうも、壊れたポンプの悲鳴だったらしい。


水道をひねると水がでるってなんて幸せ。

北の国からで、父さんが小川から水を引いて自宅に水道を作ったのを思い出して感慨に浸る。

という暇はない。溜まっていた洗濯や食器を急いで洗う。

しばらくして、また笛の音が聞こえ水は止まった。


朝も1時間でシャワー浴びて、朝ごはん作って食べて食器洗って、その合間に洗濯して…とそれはもう大騒ぎ。

これじゃ、会社行く前にグッタリだよ。


さて、その週末工事してる雰囲気はあったけど、相変わらず水は出ない。

一応月曜日の朝からはなんとか出るようになった。


あれから数週間。

相変わらずヘタな笛の音は聞こえるし、朝は6:30過ぎないと出ないし、夜は11時には止まってしまう。

歯磨きの途中で、水が止まったり、シャワー浴びてたら、どんどん水が出なくなるという悲劇が続く。


そして昨日も顔洗おうとしたら出ないし、今日も洗濯しようとしたら出ない。


こんな生活いつまで続くんだろーか。


office boyがトイレ用に水を用意してくれた。

でも、飲み水もないのよぉ。


誰か水をくださーい。

祝⁈一年

早いもので、渡印して一年経ちました。

本当に信じられないような出来事にもたくさん遭遇したし、怖い思いもしたし、ちょっとアブナイこともしたけど、不思議と一人になっても泣くこともなく、こんなもんかなとやってきました。


何とかやってこられたのは、日本語教師という仕事のやりがいと学生達のかわいさに救われているからかな。


最初の赴任地Mysoreはホント、今思えばインド一きれいな町というのも納得。

人も穏やかで気候もよくて、治安もよくて一人でぶらぶらするのも平気だった。

慣れたころに予想外の転勤。

新天地の上司や学生もいい人でよかった。

ただここAhmedabadは禁酒州というのと、肉や魚が手に入りにくいのが難点。


インドに骨を埋める気はないけど、もう少し頑張れそうです。


でも今もトラブル真っ最中だけどね。

AhmedabadのFRROは超厳しい。

去年Mysoreに来て、初めてFRRO(Foreigner Regional Registration Office)に行った時は、窓口に書類を出して、十日程度で外国人登録証をもらった。

転出するときも、普段持ち歩いてたコピーに転勤のためと一言書き添えただけで、終わった。


ところが、Ahmedabadへ来て2ヶ月になるのに、まだ申請がおりない。

すでに五回ほど行ってるのに…


そして、今回officerとの面接。

えっ?そんな話聞いてないよ。


松重聡さん風(もちろんインド人)のofficerが重々しく、

「で、君の仕事は?」

なんで書類に書いてあることわざわざ聞くんだろうと思いつつ、

「企業内での日本語教師です」と。

ふん。書類は間違いではないなという納得した様子。

ところが、次の質問によってこの後大騒ぎに….


「で、君の1ヶ月の給料は?」

へっ、給料?

額面は€38.000ぐらいだっけ?

なんか毎月いろんな天引きがあって額が一定じゃないんだよね。

€35.000は確実にもらってるかなぁと思い、

「約€35000です」と答えた。

すると、松重さんがおやっ?という顔をして

「ここには1lakh 4500と書いてあるけど」

1ラックだと?

そんな大金もらったことない。

1lakh4500なんて年収並みじゃないの?→それはないか


すると、松重officerはウチの事務の子に何やら伝え、「またあとで」と。


部屋を出た途端、事務の子から「センセイ ダメです。申請書にはセンセイのサラリーは1ヶ月1lakh4500と書かれているので、次同じこと聞かれたら、そう答えて下さい」

そんなこと知らないもん。

だいたいなんで申請書には1lakhなんて嘘っぱちの数字が書かれてるんだよ。

納得がいかないまま、しばし待つ。


再度呼ばれ、部屋に入る前に事務の子から「センセイ、さっきは手取り額で住居費やその他諸々inclusiveすると1lakhと言ってください」と耳打ちされた。

ハイハイ。


再度面接。

また「で、君のサラリーは?」

「あっ、えー1lakh4500です」

松重「君はさっき€35.000と言ったよね?」

「あのーそれは、ちょっと勘違いしておりまして、家賃など含めると1lakh45000でした。てへっ」とごまかしてみたものの

松重officerの目は誤魔化されない。

パラパラと書類に目を通して、事務の子に

「君の会社がどんな会社かわからないけど、ダメだね」と。


そそくさと撤収。事務の子に

「ねぇ、私っては強制送還されるのかな?」

「かもしれません」

OMG!!

帰れるのは嬉しいけど、強制送還ってカッコ悪っ、っていうか今後渡航できなくなるんじゃ…そりゃ困る。


会社に戻り、事務の子から支店長へ報告。

私は授業に戻った。


夜ケータイに副社長から着信が。

あっ、そういえば日本でVISAの申請の時書類が二種類あって、VISAの申請の方には確か1lakh4500となっていて、

本当の給料は€38.000だから…といわれ、給料の金額の違う二種類の書類を渡されたんだ。


そのときはよくわからず、言われたままインド大使館でVISA用の書類を提出し、何事もなくVISAは発行された。


それにしても、この金額の差も解せないし、嘘をつくのも解せない。

あー、私にもっと語学力があれば、「こんな書類嘘っぱちです。あの会社はケチなので、こんなにくれない」と訴えたいところだ。

副社長からは「とにかく先生のサラリーは1ヶ月1lakh4500ということでお願いしますよ」と。

はあ。

翌日今度は事務の子じゃ通訳にならないので、支店長が自ら同行することに。この支店長も「じゅうごぷん」とか「じゅうよんにち」っというレベルの人なので、とても通訳になるとは思えんが。

また松重さんのところに行って面接。

支店長が松重さんの質問を拙い日本語で訳してくれ、サラリーは1ヶ月1lakh4500と答えた。

その後松重さんは支店長に事情聴取。

「お前は何者だ」とか「会社はどんなんだ」など。挙句の果てに「今度事務所見に行くからな」と。

よっぽど疑われてるね。


面接後、支店長も「彼は相当厳しいね」と。

そこで、既に気分は退職モードの私。

副社長と支店長に

「これ以上FRROに行くのも負担ですし、何より授業に穴をあけてしまうので、今後FRROでの手続きが長引くようであれば、滞在期限がきれた時点で帰国します。」と、伝えた。


「いや、センセイ こちらもいろいろ考えていますから。」


いや、私ももう嘘つくのイヤだし、そんなことさせる会社もイヤだし…

正直言って、強制送還でも構わないからもう辞めさせてくれ〜


でも人手不足のこの会社、なかなか辞めさせてくれない。

どうやったのか知らないけど、松重さんからの査察を受けることなく、無事に登録完了。そして居住者としてriqure permissionもゲット。


嬉しいような悲しいような。

とりあえずしばしの残留決定。


なんとかがんばってみます…


日本の在留カードのようにちゃんとしたものならいざ知らず、こんな紙切れ一枚のためにどんだけ苦労したことか…


もう、外国人受け入れるなよ!